あなたに花束を。

例によって例のごとく、北海道苫小牧方面は雨・・・
ならまだしも、白いもんが降りやがりましたよ。
認めたくはありませんが、すっかり冬のようですね・・・。

ようやくコメントをつけてくれる人が出てきましたが、まだこっそり覗いているお暇な皆様こんばんわ。
なんだか最近コムツカシイ話ばかりで恐縮しているあぱでございます。

さて、本日の表題はナニヤラいつもとは違う匂いを醸し出してしまっていますが、相変わらず少々ひねくれたワタクシの脳内妄想の一端をお届けいたします。

先ほどぼんやりテレビを眺めていてふと思ったことです。
子供と自然とのふれあいを目的とした施設で、昆虫標本を展示しているんですね。
ま、こういった展示自体はごくありふれたものです。

が。自然とのふれあいの場に標本を持ってくるのはいかがなものでしょう。
標本というものを展示すること自体がすでに「いのち」というものを偏って教育していることに他ならないと思うのです。
かつて生あるものであった死体を子供に提示して、「コレが生命の神秘だよ」と。

仮にコレが昆虫ではなく、人体標本だったら・・・
あなたは子供に見せますか?

世間一般では生物によって、その命の価値に相当な偏差をつけているように思えます。
虫けら一匹の命の価値は、人間一人の命の価値とそんなに違うものでしょうか。
・・・ま、自分の同類のほうが大事に決まってますがね。
虫けら一匹と人間とが同価値であるとまでは言いませんよ、えぇ。
ただ、現状ではあまりに虫けら達を軽視しすぎです。
彼らもこの世に生を受け、繁殖のパートナーを求め合い、次の世代を残してこの世を去ってゆく。
われらと同類ではないにせよ、その命にはそれなりの敬意を持って接しなければならないと思うのです。

昆虫標本に限った話ではありません。これは昔からかなり違和感を覚えていることなのですが、
どこの町でも見かける花屋さん。
その店内で販売されているのはほとんどが「切花」です。根を切り取られ、種類によっては枝葉も切り落とされ、花のみが売られている。
ハナシが少々前後しますが、花の部分というのは植物の生殖器官であるのは皆さんご存知かと思います。
では、花屋さんの商売を生物学的な用語で表現しなおすとしましょう。
「多種多様な植物の生殖器官のみを収集、その形状・色彩を観察することのみを目的として販売する。」
さて、上の表現の中の「植物」を「動物」に置き換えて見ましょうよ。
食用ですらないところに嫌悪感を覚えたりもするわけです。

えー。別に花屋さんに恨みがあるわけでもなんでもないんです。需要あっての供給ですからね。
いかにわれわれが無意識に生命を差別しているかを知っていただきたいだけです。

さて、そろそろお気づきのスルドイ読者も居ると思いますが あ え て、続けます。
上の例にならって表題を言い換えてみましょう。

あなたに切り取った生殖器官の束を。

素敵な風習デスネ・・・



ワタクシメは鉢植えの花を贈りますがね(ボソ



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