カリスマ指導者没す。

北海道地方は低気圧の通過中で雨が降る(一般的には)嫌な天気でございます。

いつもこっそりこのサイトをごらんの皆様こんばんわ。
予定通りシケ休みで4時間ほど昼寝してご機嫌のあぱでございます。

自分の体が回復傾向で、さほど不平不満もない今日この頃。
ちょっといつもとは趣向を変えて社会ネタにでもクビを突っ込もうかと。

例によって例のごとく、独断と偏見を交えた毒入り文章ですのであしからずご了承くださいませ。

さて。
表題のとおり、パレスチナの指導者が亡くなりました。
遠い国の出来事といえばそれまでですし、まぁおいらに何らかの影響があるとは思えないニュースです。

でも少しだけ引っかかった点がありまして。
ニュースでは当然、パレスチナの人々の反応を映すわけです。
号泣する人々が映ってるんです。
一人の人が死んだのですから、号泣する人々がいてもおかしくはないですが。
でも街行く人々が悲しんでるんですよ。
別に1指導者による独裁についてワタクシメはドウコウ言うわけではありませんが、
それほど民衆の心を捉えていた指導者だったのでしょう。

例えば日本の指導者が死んだとして。

あのような光景が見られるのでしょうか。

ふと、平成という世の中が始まったときを思い出しました。
みんなが気にしていました。毎日毎日健康状態が報道されました。
弔問には長い行列ができていました。

でも、泣いた人がいたでしょうか。

もちろん、天皇は実質的な指導者ではありません。あくまで「日本の象徴」ということになってます。
ですが、16年ほど前に亡くなった象徴は、一時は実質的な指導者でもあった訳です。

国民性の違いなのでしょうか。それとも「太平洋戦争」のイメージが邪魔をしているのでしょうか。
どんな理由であったにせよ、その象徴がこの世を去ったとき、泣くほど悲しい思いにはならなかったのは事実です。

死亡すると民衆が泣き悲しむような指導者は日本にはいません。
もちろん日本は民主主義国家なわけですから、民衆が指導者という建前ではあります。

建前は建前として。

人間ってのは少々ずるがしこいサルの集団に過ぎないんですよ。
何が言いたいかというと、
建前やら肩書きはどうアレ、サル山のボスってのは必要なんです。
だからどこの国だって、サル山のボスがいるもんです。
その選ばれ方が違うだけで。

民衆から公正な選挙を通して選ばれた死んでも悲しくないボスと
少々荒っぽいやり方でのし上がったけれども、死んだら悲しいボス。

どちらが民衆をシアワセにできるのか。
長い歴史の中でいまだに答えの出されていないムツカシイ問題なので
結論は皆さんで勝手に考えてください( ̄ー ̄)


愛すべきボス。
あなたには必要ありませんか?


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